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zoom RSS 朗読用台本 「のらいぬ」 (岡田以蔵)

<<   作成日時 : 2019/02/15 11:04   >>

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    のらいぬ  作:マガサシロウ


 夜深く。
闇の中、静まり返った屋敷にふたつの気配。
ひとつは床に横たわり、かすかに寝息をたてている、武市瑞山。
そしてもうひとつ、無言でそれを見下ろしている、岡田以蔵。
その腰には刀が差してあった。

   今なら斬れる。
  武市を斬れる。

  斬れば俺は自由になれる。
  武市の手から自由になれる。

  だがなぜだ。なぜ抜けん。
  武市を目の前にして、
  どうしても、どうしても、刀が抜けん。

 こわばった顔に、汗が流れた。

   「以蔵、お前にはできぬ」

 眠っているはずの武市が、声を発した。
気づかれていた。
以蔵の身体中の血が、一瞬にして凍った。

   「今日はもう諦めて、そこで休んでいろ」

 そうするしかなかった。
以蔵は操り人形のように、ふらふらと部屋の隅へ行き、
そこでくずおれた。

 以蔵が武市に手をかけようとしたのはこれがはじめてではない。
武市もそのことを知っていた。
だが、以蔵をとがめることもなく、
まるで何事もなかったかのように平然としていた。

 数年前、以蔵は土佐の郷士である武市に拾われた。
のらいぬ、とでもいうような、
野蛮というものを絵に描いたような
身分違いのこの男を、武市は妙にかわいがり、
手元に置いて剣を仕込んだ。
どこへ行くにもこの男を連れていった。

   先生よ、俺を拾ってくれたのはあんただ。
  俺に剣を仕込んでくれたのはあんただ。
  俺に居場所を与えてくれたのはあんただ。

  どんなとこにも飛び込んでいった。
  どんな奴でも構わず斬った。
  俺のいくさ、俺の獲物。
  武士も足軽も関係ねえ、身分なんてくそくらえ。
  斬って捨てれば皆同じ、赤いべべ着た泥人形よ。

  大儀だの、なんだの、俺にゃ関係ねえ。
  いくさがありゃそれでいい。
  いくさがありゃそれでいいんだ。
  先生、俺ぁあんたに感謝してるんだ。

  だがよう先生、俺ぁあんたが怖いんだ。
  あんたと一緒にいると、自分がなにか、
  とても小さくて、弱っちいものに思えてくるんだ。
  まるで、まるで、この俺が、
  あんたの犬みてえに思えてくるんだ。

 実際、武市といるときの以蔵はそうであった。
力なく、萎縮しているその姿は、
まさに鎖につながれた犬であった。

 犬。
自分は武市に飼われた犬であると、
そう思い至るのに時間はかからなかった。
元より身分というものには人一倍固執していた。
だからこそ、そんな自分を嫌った。

   俺ぁそれが嫌だった。どうしても嫌だった。
  だから逃げようとした。あんたから逃げようとした。
  何度も何度も逃げようとした。
  だがだめだった。どうしてもだめだった。
  あんたから離れることができなかった。

  だから殺そうとした。殺してでも自由になろうとした。
  だができなかった。あんたの前に立ったとたん、
  身体がいうことをきかなくなった。
  なんでだ。なんでなんだ。

  縄だ。
  俺の身体じゅうに、見えない縄が巻きついて、
  俺の身体を縛ってやがる。
  どうすりゃいい、俺ぁいったいどうすりゃいいんだ。
  あんたから逃れることができねえ。
  あんたを斬ることもできねえ。
  このままじゃ、このままじゃ俺は。

 以蔵の首のあたりから、一本、縄が伸びていた。
その先に、武市がいた。
瞬間、以蔵の体内に、得体の知れないなにかが流れた。

   「以蔵、長い年月をかけて、
  俺がお前に仕込んだものは、剣だけだと思っていたか。
  真にお前に仕込んだもの。以蔵、まだわからぬか。

  俺がお前に仕込んだもの。
  それはさがよ。身体を流れる血よ。
  人間ではない、犬としてのさがを仕込んだのよ。
  犬としての血を仕込んだのよ。
  以蔵、お前の身体を縛るもの、
  お前の身体を流れるものに身をまかせろ。
  こわがらずに、すべてを受け入れろ。

  以蔵、俺はお前がかわいい。
  かわいくてかわいくて仕方がない。
  だからそばに置いた。だから犬にした。
  以蔵、俺に飼われて生きろ。
  俺の犬として生きろ」

 ぐい、と、武市が縄を引く。
以蔵はそれに身をゆだねた。



(2019年2月2日 ONIYOMI (東池袋GEKIPA) にて発表)

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